大須演芸場にはじめて行ったのは、1990年の古今亭志ん朝の高座だ。当時「日本一客が入らない」と云われていた大須を連日満員札止めにした伝説の高座「大須演芸場独演会」。ぼくの落語デビューでもある。かなり笑撃だった。志ん朝の“笑い”ももちろんだが、落語がもっている独特の様式が新鮮だった。出囃子にあわせて登場したり、全体が「まくら」「さわり」「おち」という三段で構成されていることなどに魅かれた。とくに「さわり」という用語にシビれた。「さわり」とは、最初の部分のことではない。全体が凝縮された部分のことを云う。しかもその部分が、異世界に触っているという意味で「さわり」なのだ。うーむ、粋だ。一番のコアな部分が、外部に触れている境目だなんてまるでヴィトゲンシュタインだ。いまの遊びは、コンテンツとかソフトとか云って中身だけが取り沙汰されすぎてないか。もっと「さわり」などの境界で遊んだほうがいい気がする。そうだ、大須演芸場のある大須という場所がそもそも異界に触っている。
文:小島伸吾(ナゴヤ面影座 作座人)
PROFILE
版画、タブローを中心に、個展、グループ展多数開催。
2002年、イシス編集学校に入門。2003年よりイシス編集学校におけるコーチにあたる師範代を務める。2010年、校長である松岡正剛直伝プログラムである世界読書奥義伝「離」を修める。2003年より岐阜県主催の織部賞に関わる。2006年、エディットクラブ実験店として「ヴァンキコーヒーロースター」開業。2013年、2014年「番器講」企画。2014年、ペーパーオペラ《月と珈琲の物語》製作、公演。2015年、名古屋市の「やっとかめ文化祭」《尾張柳生新陰流と場の思想》企画。2016年、名古屋市の面影座旗揚げ。第一講《円かなる旅人〜円空の来し方。行き方〜》企画。2017年、知多半島春の国際音楽祭参加、ロールムービー《幾千の月》製作、公演。など編集とアートをつなげる活動は多岐にわたる。
フォトグラファー / 1973年生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒。2000年よりフリーランスとして活動。スケートボードカルチャーを基盤にしながらも、カルチャー誌やファッション誌や広告などで活動中。
.主な著書に『POOL』(リトルモア)『ばらばら』(星野源と共著/リトルモア)『東京の仕事場』(マガジンハウス)、フォトエッセイ『ボクと先輩』(晶文社)、『Los Angeles Car Club』(私家版)。『The Kings』(ELVIS PRESS)がある。
東京都渋谷区上原にて2004年からNO.12 GALLERYを主宰している。