2019.3.29
絞り問屋・竹田家の長女・中村俶子さんと歩く400年の伝統が息づく絞りの産地・有松~その2
TEXT : AYUKO TANI / PHOTO : TOMOYA MIURA
有松観光案内所
ようこそ! わが町・有松へ
町の人たちが心をこめてご案内
有松駅から南に歩いて旧東海道を右に入ると、そこには、かつて薬屋さんだったとおぼしきレトロなお店が。実はここ、有松で唯一の「観光案内所」。引き戸を開けて中にお邪魔すると・・・笑顔で出迎えてくれてのは、観光案内所のチーフ、熊田靖子さん。薬屋さんだった頃の内装をそのまま生かした店内。その珍しさにふらりと入ってくる人も少なくないとか。元調剤室の棚に並ぶ薬瓶や天秤など、昭和ムード満点の懐かしい雰囲気に、マニアでなくてもワクワクします。
「お客さんは地元の名古屋をはじめ関東、関西、いろいろなところからお見えになります。訪れる目的もさまざまですね。古い町並みを見ようとやってくる、建物や建築マニアの方もいれば、まったく予備知識なく来てくださる方もいます。一番多いのは絞りの体験をしてみたいという方ですね。滞在時間も人それぞれですので、旅の目的に合わせてプランを立て、有松を楽しんでいただけるよう、ご案内しています。」
さらに、観光案内以外のサービスとして人気を呼んでいるのが、着物の着付け体験。事前にホームページから予約をすれば、
たくさん揃う着物の中から好みやサイズ、予算に応じて好きなものを選び、着付けをしてもらえます。
「そのまま3時間、お好きなところへ自由にお出かけください。有松は大きな町ではないので、歩くだけなら30分もあれば充分。お食事や催事などと合わせていらっしゃるのがおすすめです。」
有松の町並みをぶらり
有松を訪れる人たちに、おもてなしの気持ちで案内をする「あないびとの会」でガイドを務める加藤さんは、あないびと歴16年のベテランです。まちの歴史や絞りの伝統などを学びながら、加藤さんの案内で有松の町をぶらりお散歩。
「安藤広重の浮世絵『東海道五十三次』に描かれた鳴海の宿は、実はこの有松の街並みを描いたもので、画の中に『名産・有松絞り』と記されていて、その絵のままの風景が今も残っています」。
有松の名前の由来には諸説あるそうですが、東海道ができる前、このあたりには昼間でも暗いほど鬱蒼と松の木が生い茂っていたことからその名がついたのだとか。「それまではほとんど人が住んでいなかったこの土地に、東海道ができたことをきっかけに、尾張藩が移住者を募集しました。それに応えて移り住んで来た8人の人たちによって開かれたのが有松の町の始まりなんですよ」。
漆喰の白壁、瓦屋根になまこ壁。現在、旧東海道沿いには有松の町並みを特徴づける古い建物が並びますが、いまのような
町になったのは江戸末期のこと。それ以前はほとんどが茅葺屋根の家だったそうです。
「1784年に起きた大火によって、村全体が消失してしまったんですね。それで人々は、火に強い町にという思いを込めて、茅葺き屋根を瓦屋根に、壁には漆喰を使うなど、燃えにくい材質に変えて家を建て直したんです。それも、わずか20年で見事によみがえりました。有松ではそれ以降、大きな火事は起きていないと言います」。
大火の際に燃え残った数少ない建物の一つが有松宿の西の端にある「祇園寺」。今は建て替えられていますが、お寺の宝物の中には当時のものもいくつか残っているのだそう。
「当時、絞り問屋の数は尾張藩の決まりで20軒までに限定されていて、ここ有松でしか販売することができませんでした。藩によって手厚く守られていたため、有松の絞りは地場産業として大きく発展したんです」。
- あないびと
加藤明美さん「有松あないびとの会」で16年、あないびとを続けている加藤明美さん。名調子のガイドを頼りに、建物の特徴、絞りが生まれた背景など、まちに息づく歴史や文化を学びながらのまち歩きは、より一層、興味を引かれ、楽しみも深まります。
有松天満社
有松の町を見守る氏神さま
絞りの衣裳で挙式も
江戸末期、祇園寺にまつられていた祠を北側の山に移し、社殿を建てたことが始まりと言われる地元の氏神さま。秋には、地元に伝わる3台の山車の曳き回しやからくり人形の競演など、見どころ満載の「有松の山車祭り」が行われます。
竹田嘉兵衛商店では、有松天満社で結婚式を挙げる花嫁さんに、総絞りの打ち掛けをレンタルする「絞婚(しこん)」というサービスも始めたそう。高い丘の上にある天満社までは車で送迎。神社での挙式の後は竹田邸の蔵での食事会。さらに有松ならではの町並みをバックに記念撮影も。普段はなかなか袖を通すことのない絢爛豪華な打ち掛けを着て迎えるハレの日。間違いなく一生忘れられない思い出の一日になることでしょう。
ゲストハウスMADO
旅人と有松のまちとをつなぐグローバルな交流の場
「最近、有松のまちに素敵な人がたくさん遊びに来てくださるようになったんです。その理由のひとつがここ。どう?センスがいいでしょう!」そう言いながら中村さんが案内してくださったのは、旧街道沿いに建つ、築100年の古民家を改装した「ゲストハウスMADO」。
二間続きの和室をふすまで仕切ったただけの、こじんまりとした宿泊施設ですが、まるで我が家にいるようなリラックスした雰囲気が人気で、国内はもとより海外からのお客さんもたくさん訪れるそう。手作りで仕上げたというシックな色合いのカウンターや、壁に掛けられたフォトフレームなど、シンプルな内装ながら、いたるところにオーナー夫妻のセンスが光ります。
ご主人の大島一浩さんは、もともとアパレルメーカーとして、上海で主に日本向けにビジネスをしていましたが、仕事に限界を感じて転職を決意。4年ほど前に生まれ故郷である有松に戻り、夫婦でゲストハウスを開きました。しかし、前の仕事を辞めたときには、まだゲストハウスをやる計画はなかったと言います。
「ここにMADOさんができて、日本全国、そして世界中からもいろいろな人が有松に来てくださるようになった。その人たちがこの町と絞りの文化に興味を持ってくださる。そういう流れが、地元の私たちでさえ気づくことのできなかったこの町の価値に気づかせてくれるんです」。
カフェ&バル庄九郎
祖父の思い出が詰まったはなれをカフェに
有松駅を出て南へ2分ほど歩けば、すぐそこが旧東海道。有松の商家「竹田嘉兵衛商店」に生まれ育った中村さんは、生前、町並み保存にも尽力したという父の想いを受け継ぎ、2017年に竹田家のはなれだった建物をリノベーションしてカフェをオープンしました。
「この場所にもともと建っていた竹田家の分家跡で、メインの建物は現在、緑区大高にある曹洞宗のお寺『春江院』に寄贈されています。その後に残った部分を生かしました。私から見れば祖父が晩年、療養していた家。当時のことが今も思い出に残っています。主がいなくなったあと、何かに再利用できないかということになり、まちのみなさんと話し合ってカフェを開くことになりました。」というのも、それまで有松の町にはカフェがほとんど無く、訪れた人たちにゆっくり過ごしてもらう場所があれば、という想いがあったのだそう。
改装に向けてクラウドファンディングを立ち上げ、名古屋市からも古い町家活用のための助成を受けて資金調達。「市民のみなさんの気持ちが形になったのだと思うと感慨もひとしおでした」と中村さん。「ところが、始めてみたら想像以上に大変で。当たり前のことですが、毎日やるっていうことに改めて気づいてしまって。最初は軽い気持ちで言い出したので、なんとなく誰かがやってくれるような気持ちだったんですよね。そこは大きな誤算でございました(笑)」そう言いながらも、充実した日々を心から楽しんでいる様子が伝わってきます。
お店で提供するメニューは、お手伝いに来てくれる姪っ子さんと一緒に中村さんご自身が考案。今も夜はほぼ毎日、さらに忙し
い土日も自らお店に立ってお客様をお迎えしています。
「大変ですが、それ以上に楽しいことの方が多いですね。家業の絞り問屋にもお客様はいらっしゃいますが、ここには気軽にた
くさんの方が来てくださる。いろんな方が集まりやすい場所をつくって本当に良かったと思っています」。
有松の歴史薫る町並みと伝統の技は、たくさんの人々の誇りと情熱によって永く守り、支えられてきたんですね。町の魅力向上と文化の継承のため日々奔走する中村さんの若々しい姿からは、使命と充実感がみなぎっていました。さあ、今年もそろそろ桜の便りが届くころ。風情ある町並みがひときわ美しく彩られる季節です。のんびりと電車に揺られて出かける有松ぶらり旅。おすすめですよ!
PROFILE
1943年 名古屋市緑区有松町 絞商7代目竹田嘉兵衛長女として生まれる。
幼少時は東京で過ごし8歳で有松へ戻る。愛知学芸大学附属名古屋中学校、県立旭丘高校、成城大学文芸学部英文学コース卒業。1967年に結婚し2男Ⅰ女の母親に。その後、南山大学法学部入学、卒業。同学部卒業後司法試験を目指し名古屋大学法学部へ社会人入学、卒業を経て1987年、義父の看病の傍ら次世代への教育を考え友人と私塾を作る準備に携わり、1989年 フィニッシングスクール フェリシアカレッジ開校 学院長に就任。
1995年 夫の死去により家業を継ぐ。
1998年 実家の竹田嘉兵衛商店に戻り、営業企画や催事企画などを担当。
2015年4月、弟である故竹田耕三の蒐集した絞りの資料館設立のため「特定非営利活動法人コンソーシアム有松鳴海絞」を設立。
2017年 2月有松にライブラリーカフェ「庄九郎」をオープン。2017年9月、特定非営利活動法人コンソーシアム有松 理事長に就任。
放送作家として20年にわたりテレビ番組制作に携わる。現在はフリーペーパー、新聞、書籍、WEBなどを中心に、地元・名古屋を拠点にライターとして活動中。 何かの奥に隠れているものを覗くのが好き。蓋のある箱の中身や閉ざされた扉の奥にある空間、カーテンの向こう側の景色、そんなものたちが気になります。人の心の奥にある思いや言葉を引き出す取材、インタビューが好きなのもそれと同じなのかもしれません。
1982生まれ。現在名古屋を中心にウロウロしながら撮影中。 その他、雑誌広告も。
栄の観覧車に一度は乗ってみようと思ってます。