2017.6.22

ブラナゴヤ!市澤泰峰さんとブラリする名古屋城

名古屋城学芸員 市澤泰峰さん

TEXT:TOSHIYUKI OTAKE / PHOTO:TOMOYA MIURA

「タモリさんがついに名古屋へ!」 地元っ子は大いに盛り上がり、全国の人たちも注目したNHK『ブラタモリ』の名古屋編。全国津々浦々の隠れた面白さを見つけているこの人気番組が、名古屋の知られざる魅力も掘り起こしました。今回は番組で案内人を務めた方々に登場していただき、その名も「ブラナゴヤ」シリーズと題して、ロケで実際に歩いたルート+αを案内してもらう独自企画!皆さんもタモリさんになった気分で、名古屋の街を歩いてみませんか?

第1弾は名古屋城を学芸員の市澤泰峰さんと一緒に歩きます。地元の人なら一度や二度は訪れたことがあるであろう名古屋のシンボル中のシンボルですが、意外と知られていない史実や見どころも多いんです。

名古屋城天守

金鯱に隅櫓。名古屋城は“大きくて強い”!

“初・名古屋城”だったタモリさんがまず注目したのはやっぱり金鯱。正門横の実物大のレプリカを見て、まずその大きさ(高さ約2m)にびっくり。天守を仰ぐとそのまばゆさにもまた誰もが驚くはずです。そして、市澤さんの解説が金鯱への興味をいっそう深めてくれます。

「他にも天守に金鯱を冠した城はありましたが、ほとんどが金箔貼り。名古屋城は贅沢に約200㎏分もの金の板を使っていました。江戸城や大坂城にも同様の金鯱があったとされますが、いずれも江戸初期に焼失しているので、近代まで金板の金鯱が守られてきたのは名古屋城だけでした。これほどのお宝ですから泥棒にも何度も狙われていて、昭和12年にはウロコが58枚も盗まれています。江戸時代の大凧に乗った大泥棒・柿木金助の伝説は歌舞伎にもなっています。ただし凧に乗ってというのは伝説です」

番組のテーマは「尾張名古屋は家康でもつ?」。名古屋の武将というとこの地出身の織田信長や豊臣秀吉のイメージが強いですが、名古屋城を築いたのは三河国・岡崎出身の徳川家康です。家康はどんな思いを込めてこの城を築いたのでしょう?

「天守閣はこの角度からが一番お薦めです」と市澤さん。手前は江戸時代から現存する重要文化財の西南隅櫓

「名古屋城の特徴はとにかく大きい、そして(戦に)強い城ということです。天守の延床面積は日本一、高さも姫路城をしのぎます。大きいのは天守だけでなく、例えば西南隅櫓(すみやぐら)は高さ13・8m。国宝の彦根城の天守が16・3mですから、櫓だけで普通の城の天守に匹敵するスケールなんです。そして、かつては隅櫓と隅櫓が多門櫓という長屋のような櫓でつながっていました。外からの敵はもちろん、本丸に攻め込まれても攻撃できる構造になっているんです。また、城門前に設けられた兵や馬が待機する馬出(うまだし)も強さの証。御深井丸(おふけまる)も一種の馬出でこれが非常に広い。これは戦の時代が終わった後に有効活用できるためのスペースだと考えられます。家康は戦国の世を終わらせた後の平和な時代を見すえて、名古屋城を築いたんです」

タモリさんも注目!石垣は城の歴史の鑑

“石”に造詣の深いタモリさんは案の定、石垣にも興味津々。市澤さんもそれに応えてその見どころを詳しく解説してくれました。

「西南隅櫓の下の石垣を見てください。表二之門に近い右手一帯は石垣を木が覆っていますが、櫓の下にはまったく生えていません。これは大正時代に石垣ごと櫓が崩れてしまい、大々的な修復をした痕跡なんです。また、本丸御殿のすぐ南の石垣は、御殿側は所々ひびが入り、反対側はきれいですよね。本丸御殿は太平洋戦争時の空襲で天守とともに焼け落ちてしまいましたが、石垣のひびはその時に焼けた名残りなんです」

西南隅櫓を望みながら表二之門へ向かう。表二之門に近い箇所は石垣が木に覆われているが、櫓の下一帯は木が生えていない。東南隅櫓、西北隅櫓と合わせて3つの隅櫓が江戸時代から現存し、3つのうち1カ所を年に数回一般公開している

修復や被災、城の長い歴史の痕跡が石垣には写し出されているというわけです。また、石の積み方や石垣の形状からも時代性が読み取れると言います。

  • 堀の中には2頭の鹿が。70年代には50頭以上が野生に近い状態で生息していた。
  • 本丸御殿前の石垣。黒ずんでところどころひびが入っているのは、太平洋戦争の空襲の名残なのだそう

「四角形の石の場合、辺を下にしている(□)のは近世、積みやすいように角を下にしている(◇)のは明治以降に修復された近代の積み方です。戦国時代の城郭の石垣は石積みの技術の高さによって作られていて、慶長(1596~1615)以降になると石材加工の発達で整然とした石の積み重ねが可能になります。名古屋城築城はちょうどその過渡期で、石の複雑な積み重ねの技術が駆使されているとともに、角の部分の鋭角的なラインの美しさからは石材を切断する技術の確かさを見て取ることができます」

同じ堀なのに左右で石が違う?城づくりに秘められた家康の深謀遠慮

石垣の興味深さをさらに感じられるよう、市澤さんが続いて案内してくれたのは搦手(からめて)馬出の東側の空堀の中。ここはタモリさんも大いに関心を示した場所です。

「西側の石垣は白っぽい花崗岩や花崗閃緑岩、東側は灰色っぽい砂岩。同じ堀なのに左右で石が違います。西側は高松藩主・生駒正俊らが、東側は加賀藩主・前田利常がそれぞれ石を調達してきて作りました。名古屋城は全国の20名の大名が集められて土木工事に従事し、これを“天下普請”(てんかぶしん)と言います。石垣を見ることで、多くの大名が城づくりにかかわったことがうかがえるんです。ちなみに花崗閃緑岩は三河、砂岩は養老山系が産地。他に小牧の岩崎山、瀬戸、尾鷲などから運ばれた石が使われています」

  • 搦手馬出の東の空堀。左が東側の前田利常による砂岩の石垣、右が西側の生駒正俊らによる花崗岩の石垣。東西の石垣から「天下普請」を見る

主に豊臣方の大名に城づくりを命じて進められた天下普請。これには徳川に反旗を翻す恐れのある西方の財力をそぐという家康の狙いがありました。そして、この堀からうかがえる地形もタモリさんが着目したポイントです。

「お堀の外側より内側が高くなっている、つまり名古屋城は高台に建てられているんです。そして、本丸より北側は低湿地帯でした。台地の端に石垣を建てているので北側からは攻め込むことができない。立地的にも“強い城”なんです」

空堀の北端にはかつて波止場があったそう。藩主はここから船で水堀を対岸まで渡り、現在は名城公園となっている場所にあった庭園で過ごしたのだとか。つまり、今私たちが見ている空堀からの眺めは、尾張徳川家の藩主たちも望んだ景色というわけです。

空堀の北には堀があり、ここが台地の北端だった。藩主たちもこの風景を見ていたはず

そして、西側の堀の先は平成16年から修復工事中。石垣の大部分が取り除かれているため、奥にある栗石(ぐりいし)と呼ばれる小さな石が露出しています。

「栗石はこの修復期間中しか見られませんから非常に貴重です。修復箇所は約4000石分で高さ最大14m、計1200平方m。これは城の石垣の修復工事としては全国でも例のない大規模なものです。14年がかりで解体・調査を行い、ようやく今年度から積み直しに取りかかれます」

石垣の一角の保全だけでそんな長大な時間がかかるとは・・・!貴重な史跡を守っていくのがどれだけ大変なことかがうかがいしれます。

かつては堀へ降りる階段があった埋門(うづみもん)跡。対岸にあった庭園へ遊興を目的に渡るためなどにも使われたが、有事の際の脱出用だったとも伝えられる

二の丸茶亭

二之丸庭園を望み抹茶で一服

さて、市澤さんのイチ推しながら、時間の制約があって番組の収録時には案内できなかった場所があると言います。タモリさんの替わりにそこへ連れて行ってもらうことにします。本丸の東側にあたる二之丸庭園です。

「ここは藩主の住まいだった二之丸御殿の庭園として初代藩主・義直が造営し、10代・斉朝(なりとも)が大改修しました。藩主の御殿に付随する庭園としては全国最大級のスケールを誇ります。儒教に傾倒していた家康の影響を受け、義直の造営した庭園は儒教の祖である孔子を祀る孔子廟があるなど、大名庭園としては異質の様式を取り入れているのが特徴です」

  • 市澤さんお薦めの名勝・二之丸庭園。何度か改修されて現在 は枯山水回遊式庭園となっている

こんもりした築山や池は斉朝による改修以降の往時のままに残っているものなのだとか。
「金沢の兼六園にも見られる栄螺山(さざえやま)と呼ばれる築山で、ぐるぐると回りながら登れる構造になっています。その脇に空池がありますが、江戸時代の絵図では青く描かれていて水が張ってあったと推測されます。しかし、ここには水を引く設備がなく、井戸でくんだ水をせっせと運んで溜めたのではないかと考えられます」

庭園には二の丸茶亭があり、お抹茶とお菓子をいただけます。こんな優雅な“一服”のひとときがあると、名古屋城をより時間をかけて楽しめそうです。庭園では現在調査および整備が進められていて、市澤さんは一日でも早くより多くの人に往時の姿を楽しんでもらえるようにしたい、と目を輝かせます。名古屋城を熟知し、愛する人たちの思いを知ると、城をより身近に感じられ、これまで気づかなかった魅力も浮かび上がってきます。尾張名古屋は家康・・・だけでなく、城を愛する多くの人たちでもっている、と言えるのではないでしょうか。

金鯱の燃えがらで作った茶釜のレプリカがあり、毎週金曜日はこの茶釜で沸かした湯でお茶を淹れてくれる
  • 名古屋の名店の和菓子をお抹茶とともにいただく。一服540円

隠れた魅力を掘り起こすという番組の性格上、今回は天守と本丸御殿はあえてほぼスルーしながらも、知りたくなる、語りたくなるポイントが尽きない名古屋城。まだまだ見どころはたくさんありますが、この辺りで城の外へ出て文字通りの町歩きへと向かいます。(第2弾へ続く)

PROFILE

案内人Yasumine Ichizawa

名古屋城学芸員。長野県出身。小学生の頃に訪れた中山道で、100年以上昔の人と同じものにふれていることに感動し、歴史に興味を持つ。名古屋市教育委員会で遺跡の発掘調査などを担当し、6年前から名古屋城に勤務。名古屋城以外の市内のお薦めスポットは東谷山。古墳群が広がり、「歴史の里」として整備されているそう。趣味は登山。好きな名古屋めしは小倉トースト。

ライターToshiyuki Otake

なごやめしと中日ドラゴンズをこよなく愛する名古屋在住のフリーライター。名古屋の食文化に関する著作を数多く手がけ、著書に『名古屋の喫茶店』『名古屋の居酒屋』『名古屋めし』(以上「リベラル社」刊)などがある。最新刊『なごやじまん』(「ぴあ」刊)が絶賛発売中。

カメラマンTomoya Miura

1982生まれ。現在名古屋を中心にウロウロしながら撮影中。 その他、雑誌広告も。
栄の観覧車に一度は乗ってみようと思ってます。